数年前、散歩の集まりの年上の犬が1匹、虹の橋を渡りました。その飼い主さんはしばらく散歩道に出て来られなかったのですが、ある夕方、空のリードを持ってあの道を歩くのを見ました。その心をすべて分かるとは到底言えませんが、その横にいた者として、この文を書きます。今、その時間を過ごしていらっしゃる方に届くことを願いながらです。
ペットロスは病気ではなく、家族を失った人が経験する自然な悲嘆です。涙、罪悪感、ぼう然、空耳のように聞こえる足音まで、すべて正常な反応です。悲しみを我慢せず十分に経ること、自分だけの方式であの子を記憶すること、理解してくれる人たちと話すことが、回復の道です。ただ、日常が長く崩れているなら、ひとりで持ちこたえず、専門家の助けを受けてください。
犬は、毎日の存在です。朝に目を合わせて、帰れば喜んで、眠るとき横にいますね。一日に数十回ずつ交わしていた触れ合いが一度に消えるので、悲しみが生活のあちこちで、よみがえり続けます。しかも私たちの社会は、この悲しみを十分に悲しむ場を、なかなか用意してくれません。思い切り悲しめなかった悲しみは、より長く続きますし。だから、今とてもつらいのはおかしいことではなく、それだけ深く愛したという証拠です。
| よくある姿 | こんな形で現れます | 覚えておくこと |
|---|---|---|
| ぼう然と否認 | 実感がなく、機械のように過ごす | 心が衝撃を吸収する自然な緩衝の過程 |
| 罪悪感 | もっとしてあげれば、あのとき病院へ行けば | 最善を尽くした人ほど大きく来る感情 |
| 怒り | 病院、家族、自分に腹が立つ | 悲しみが少しの間まとう服、過ぎていきます |
| 深い悲しみ | 食器、散歩道を見ただけで涙 | 我慢するより流すほうが回復が速いです |
| 空耳のような瞬間 | 足音、鈴の音が聞こえる気がする | 悲嘆の中のよくある経験と知られています |
| 受け入れと記憶 | 涙なしにあの子の話をする日が来る | 忘れるのではなく、心に場所を作ること |
※この過程は順番どおりには来ず、混ざって、行ったり来たりを繰り返しながら過ぎます。数日大丈夫だったのにまた崩れても、後戻りではありません。
周りから「犬1匹のことで」という言葉を聞いたなら、その言葉はあなたの悲しみではなく、言った人の経験が狭いという意味でしかありません。あなたの悲しみは、謝ることでも、証明することでもありません。あの飼い主さんがまた散歩道に出て来られた日、うちのグルム(「雲」という意味の名前です)が先に駆けて行ってあいさつしたのですが、あの方が笑ったのはあの日が初めてだったと、後から聞きました。
この文を前もって読んでおく方なら、今日のあの子の何でもない姿をひとつ残しておいてください。クンクンに上げた投稿には日付が一緒に残るので、いつかその日のあの子に、その日の心でまた会えます。記憶はかすんでも、残しておいた一日はかすみません。
今日の様子を写真に残す →数週間が過ぎても眠りと食事が崩れたままだったり、仕事と人間関係が保てなかったり、生きていく理由がないという考えがよぎるなら、ひとりで耐えないでください。これは意志の問題ではなく、助けの必要な状態です。カウンセリングや心療内科の扉をたたくのは、大げさなことではなく、自分を守ることです。心がとてもつらいときは、こころの健康相談統一ダイヤル(0570-064-556)や、いのちの電話(0120-783-556)が、いつでも話を聞いてくれます。
子どもには、死を「どこかへ行った」とごまかすより、やわらかく正直に伝えるほうが良いそうです。一緒に絵を描いたり手紙を書いて、悲しむ場を作ってあげてください。残されたペットも、ごはんを抜いたり友だちを探し回って喪失を経験することがあるので、散歩と日課を守りながら、そばを見てあげてください。
正解はありませんが、旅立った子の代わりではなく、新しい出会いとして迎えられるときが、そのときです。それが3か月かもしれず、数年かもしれず、永遠に来ないかもしれず、すべて大丈夫です。周りのせかしに合わせる必要はありません。
悲しみが消える日は、来ないかもしれません。その代わり、悲しみと一緒に、笑いながらあの子の話ができる日は来ます。その日まで、今日は今日の分だけ持ちこたえれば大丈夫です。
この記事は一般的な情報であり、獣医学的な診断に代わるものではありません。愛犬の状態は動物病院にご相談ください。